もう隠せない時代

本来弱肉強食の社会だったはずなのに、変に平等を謳うからギスギスした空気になるんじゃないかと最近よく思う。

生きるのに向いてる遺伝子だけを残せばいいのに、向いてない遺伝子まで「平等」に残して。

それで向いてない人が病気や障害で社会の世話になると、向いてる人はモヤモヤするわけでしょう。

対面上はモヤモヤを隠せても、匿名のSNSなんかでは見事にあらわになっている。

 

向いてない人を無理やり残す必要はないんじゃないかと思う。

希望すれば死ねるようになればいいのに。

そうすればお互い、いわゆるwin-winで終わるのに。

 

 

自分がSNS下手だということは昔からわかっていた。

匿名、短文、拡散力。

何年やっても上手くならない、それがSNS

発信することも、情報を受け取ることも、どちらも下手。

もうやらないほうがいいと何度も思うのに、この状態でほかにできることがなくてやってしまう。

 

楽しかったことを投稿すると、なんでこいつは働いてないのに楽しんでるんだ?と思われるだろうな、と思う。

つらい苦しいと投稿すると、それを見た人まで憂鬱な気分になるかもしれない、と思う。

もう何も投稿しないのがいいのに、どうして抜け出せないのだろう。

流れてくる有象無象の情報にはいちいち落ち込んだりイラついたりして、受け取りもド下手くそ。

 

度々、ガラケーに戻したいと考える。

不便なくらいが精神的には良いだろう。

ガラケーだった当時は、それで普通に生活できていたんだから。