反動
日曜に友達に会った時に、ずーっとその人の恋愛話、人間関係の話、仕事の話などをされて、その反動で翌日、翌々日はほぼ動けなかった。
この友達と会うとものすごく疲れる時がある。
前からそう。
約束した時間にも遅れてくる、必ず。
そして今回は私の最寄り駅まで来て「遠い」と愚痴を吐いていた。
私はいつも彼女の最寄り駅やその付近の駅まで出向いているのに……。
それで色々とショックを受けてしまった。
時間に遅れてくるのを、私は毎回「まあ仕方ないね……」と言って許している。
だから舐められているのだろう。
私にもっと友達がいて、この人と疎遠になっても他に何人もいる、という状態だったらそんなふうに許さないかもしれない。
私に友達がいないせいな気がしてきた。
その友達と、来月旅行に行かなければならない。
本当は行きたくない。
計画もこちら任せだし、時間を守るかも不安だし、体調が悪い時にそう言い出しづらいし。
とにかくマシンガントークで、何かを言う隙が与えられないのだ。
すごく怖い。
体調が悪くなるかもしれないが、それを言えない苦しさ。
どうすればいいのだろう。
キャンセルしたくてもできない。
自殺未遂でもしない限り、旅行は決行されるだろう。
カウンセラーにはそんなことで自殺なんてもったいないよ、と言われた。
たしかにそうだろう。
私もそう思う。
こんなことになってしまって、悲しい。
人のことを嫌と思いたくない。
平和に暮らしたかった。
友達だと思っていた人に舐められていると気付いてしまったこと。
そのせいでもう平和に暮らせない。
でも、もう本当に日曜は疲れてしまって、今でも頭がぼーっとしている。
なんでこんなに話を聞かなきゃいけないのだろう(6時間くらい)。
何か罪を犯しただろうか。
私の話は聞いてくれない。
私が何も話さないから悪いのか?
でも隙が与えられない。
もう考えたくない。
記録のためにここに書いているけれど、本当は何も考えずにいたい。
考えたくないし思い出したくもない。
思考量
人と比べてしまう。
noteの「スキ」の数、日記本の面白さ。
自分の書いた文章はなんてつまらないんだろう、と。
生活がつまらない?文がつまらない?どっちも?
一日中考えている、自分のつまらなさについて。
はあ、悲しい。
思考が囚われていることがつらい。
苦しい。
他にやることがないからこんなことになっている。
やることがない、というか、できることがないというか。
一日の活動量に限界がある。
過活動
ああ、疲れた。
薬が変わってから、過活動気味でとても疲れる。
とは言え一日に活動できる量は大体決まっているから、いつもどこかでバテる。
バテてからの復活には時間を要する。
効率の悪い人生。
死にたいと本気では思わない、最近は。
非現実的なことだと理解し始めたのかもしれない。
それでも日々憂鬱ではある。
遠い
noteの「スキ」の数を気にして、数分おきにアプリを開いてしまう。
こんなんでは身が持たない。
何がいけなかったのかと考え続ける。
悲しい気持ち。
虚しい気持ち。
食べても食べても満たされない。
本当は大して食べたくない。
膨大な時間を潰すために食べている。
働ける気がしない。
一生働かないかもしれない。
遠めの未来のことが何もわからない。
悲しいことが続いていく、というのだけはわかる。
人は皆死んでいくから。
眠くなってくると、指が勝手に文字を消している。
勘弁してほしい。
眠くなるのはありがたいけど。
果てしない。
疲れた。
人生って遠い。
皮肉の言葉
最近自分のなかで、「すごい」と「怖い」が悪口になっている。
悪口というか、皮肉のような感じ。
皮肉りたい時にすごいとか怖いとか言ってしまう、書いてしまう。
本来の用途とは異なる使い方をしている。
批評することも憚られる昨今。
X等のSNSやnoteではもちろん悪いことは書けない。
だから代わりにすごいとか怖いとかを使う。
こういう皮肉めいたところが、私が嫌われる原因の一つなのかもしれない。
自覚はある。
でもやめられない。
最近は吐き出し口がない。
人を不快にさせないように、気を遣っている。
だから言葉に別の意味を持たせ始めたのかもしれない。
SNSと距離をとる
Xで「しにたい」と呟いたら、所謂エアリプで悪口を言われた気がする。
それがずっと引っ掛かっていて、今日も朝から調子が悪い。
私が悪いのだろうか。
ずっと胸が痛い。
やっぱりSNSは向いてない。
SNSがない時代から定期的にブログに悪口が送られてきていたが、SNSが出てきてからは酷い目に遭うことが増えた。
それでも懲りずにやり続ける自分もどうかと思う。
発信するから酷い目に遭う。
見る専になればこんなことになっていないだろう。
しかし今やSNSだけがコミュニケーションツールになりつつある。
友達がいない。
引きこもりだから、SNSでコミュニケーションを取るしかないのだ。
でもたまに酷い目に遭う。
塩梅が難しい。
死にたいと言わなければいいのか。
当たり障りのないことを書いていればいいのか。
それが正解なのだろう。
もう当たり障りのないことしか書かないことにする。
SNSとの距離感についてちゃんと考えよう。
もう傷つきたくない。
人への興味
昨日、自分が不幸続きで痩せたからって同年代で太った人を嘲笑っている人をSNSで見かけて、嫌な気持ちになった。
不幸のヒロイン気取りなのもうざいし。
鬱で太る人もいるってことをわからないとこういう反応になるんだなあって思った。
それを見てイライラして過食したくなった。
でもそんなんで過食するのもなんだかなと思ってやめた。
自分は色んな人の色んな事情を慮れる人でありたいなと思う。
けれど、現状SNSで見たその人と性格が似ている気がする。
夫のようにいい意味でも悪い意味でも気にしない性格になりたい。
でもどうすればそうなれるのかわからない。
人を観察することが好きだから。
人に興味がなければ夫のようになれるのだと思う。
つらい
死にたいのに資格試験なんて受けられるわけがない。
資格が取れたとしても、働ける状態じゃないし、なんの役にも立たないと思う。
勉強を始めた当初は、こんなに体調が悪くなるとは思ってもみなかった。
夏になれば今より調子が上がるだろう、とすら思っていた。
実際は上がるどころか下がる一方で、なぜ??と思う。
なぜなのか、全然わからないところが怖い。
なんでこんなに調子が悪いままなのか、自分で振り返ってみても思い当たる節がないのだ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、とずっと考えている。
仕方ない、障害者なんだから障害者らしく生きるしかないのだ。
そう考えようとしてみても、やはり悔しい。
手帳も年金ももらっている身なのだから、慎ましく障害者風に生きたほうがいいのだろう。
そういうことで調子が肩書きにあわせてきているのか?と思うくらい、調子が悪い。
来週は1泊2日のプチ旅行がある。
義実家にも行く。
とてもそんな気分ではない。
気分、というか体調か。
全部やめたい。
今後の全ての予定をやめてしまいたい、と思う。
苦しい。
「良くなる」とは対極にいる。
いつまで続くのか。
それともずっと落ちていくだけなのか。
先が見えない不安。
どんどんできないことが増えていく。
一人じゃまともに出掛けられなくなった。
いつものドトールがせいぜい。
でもドトールにも前ほど行けなくなっている。
もう、何が楽しくて生きているのかわからない。
全部が全部嫌。
みんなこれくらいの嫌さ加減を抱えながら生きているのか、自分だけが異常なのか。
わからない。
早く死にたい。
もうなんでもいい。
やり残したことなんてどうでもいい。
死なせてくれ。
早く死ななきゃ。
早く死ななきゃ
もう疲れた。
10年以上精神薬を飲んでいるのに、一向に合う薬が見つからない。
病気じゃなくて性格なんじゃないかと思ってしまう。
気分の落ちる頻度が尋常じゃない。
数年前こんなに気分落ちてたかな、と思うほど。
気分が落ちては頓服を飲んだり、何か食べたりしている。
どんどん悪化しているような気がする。
少なくとも良くはなっていない。
カウンセラーは「良くなりますよ」と言うが、10年鬱をやっていると良くなるなんて信じられない。
嘘を言っているのだと思う。
体力も落ちてしまったし、何をするにも慎重になってしまった。
もうさすがに昔レベルに戻りたいとは思わない。
でももう少し気分の沈む頻度が少なくなればいいのにとは思う。
それくらいすぐ気分が落ちる。
体力も昔に戻れるとは思っていない。
でももう少しどうにかならないかと思う。
そうすれば色々活動しやすくなると思う。
痩せれば活動しやすくなる、とかそういう単純な問題だろうか。
もはやそういう次元ではない気がする。
何かがおかしい。
これから親族がどんどん死んでいくのだと考えると、自分が一番に死にたいと思う。
親族たちの死に耐えるほどのメンタルを持ち合わせていない。
このまま誰かが死んだら、壊れてしまう。
それくらい弱い、今の自分は。
死ぬ方法について考えても、実行する気力がない。
死ぬことにさえも努力ができない。
勇気や気力を伴うことが何もできない。
でも死にたいという気持ちはある。
だって生きてても苦しいもの。
苦しみに耐える時間が累積していく。
いつまで耐えればいい?
カウンセリングで話をしても、だから何?って感じがする。
話した内容が日常に活きることなんてない。
家に帰れば憂鬱になる。
また一ヶ月憂鬱な毎日を送ることになる。
なんの意味があるのだろう。
孤独なのがいけないのか。
だからって無理して人がいる場所(ドトールとか)に行くのもつらい。
行ったって別に誰と話すわけでもない。
毎日孤独で、夫以外誰とも話さない。
生きている意味とは。
障害者で、生きていたくないと思っていて、それで生き続ける意味はあるのか。
苦しい。
もうどこにも行きたくないし何もしたくない。
全部どうでもいい。
早く死ななきゃ。
“無”
今日は横浜に行った。
ミッフィースタイルで買いたいグッズがあったのと、ミニチュアパンの展示を見に行った。
ついでに気になっていたイノダコーヒーにも行った。
でも全然気持ちが上がらなかった。
ミッフィーグッズの数々を見ても“無”という感じで、前から買うと決めていたものだけ買って終了。
ミニチュアの展示もへ〜って見て、夫へのお土産用のものを必死に探した。
感動とかがなかった。
イノダコーヒーも、食べきることに必死で味わうとか美味しいとかそういう感覚を持てなかった。
一人で行動していることがつまらなく、イノダコーヒーではソワソワとした。
その後も色々見て回るも“無”で、そのまま帰宅。
電車は行きも帰りも座れて助かったけど。
なんか、一人行動が下手になっている気がする。
結婚してから夫とばかり行動していて、最近は特に一人では出掛けなくなった。
そのせいか、一人で出掛けるとつまらないなって思ってしまう。
近場のドトールとかに行くのなら別になんとも思わないが、ちょっと遠出すると一気につまらなさを感じる。
これはまずいな、と思う。
もし夫が突然死でもしたら大変なことになる。
一人が耐えられなくて苦しむだろう。
自立したいと願っているのに、経済的にはもちろん、精神的にも自立できていない。
依存がどんどん深まっている。
こんなはずじゃなかったのに。
夫に裏切られるなんて思ってはいない。
でも元彼氏に言われた数々の裏切りの台詞を思い出すと、怖いなと思う。
依存しすぎないようにしないといけないのに、どんどん加速している。
怖い。
とにかく楽しくなかったのが悲しい。
嫌なことは起こらなかったのに、それでも気が落ちてしまっている。
つらい。
普通に楽しみたい。
一人でも楽しいと思いたい。