劣化していくのが怖い

あまりにも状態が悪い。

何もできないことが不安。

データ入力の仕事、間に合わない気がする。

弱音も吐けない。

 

言葉がうまく出てこない。

表現したい内容に合う言葉を頭から引っ張り出せない。

 

極端な思考。

外で嫌なことがあるたび、もう一生外出しないと宣言する。

そんなことは無理なのだが、とにかく思考が極端な方向にいく。

 

約10年の鬱生活で今が一番最悪な状態。

入院したい。

今も未来も怖くてたまらない。

 

死ねたらいいのにと思うのに、試しに階段から転げ落ちることすらできない。

行動力がない。

しかし生き続けるのはつらすぎる。

家族には申し訳ないけど、もう仕方がない。

 

死んでないから苦しみが理解されない。

 

明らかに母親の遺伝で鬱になってるんだろうなと思う。

それでもなんとかここまで生きて、数年間夫と過ごせたからいいかと思う。

母親を憎んだところで今さらどうしようもない。

 

今一番怖いのは、これからのこと。

今の状態が続き、さらに悪化していくだろうと思う。

そういう自分を受け入れられる気がしない。

だって、早くないか?

まだ31なのに、高齢者のような劣化具合。

この劣化した状態を他人に見られるのも嫌で、誰とも会いたくない。

また「頑張ってない」とか言われるのかと考えるとより不安だ。

 

体力や気力の衰えに加えて、苦手なことがたくさん増えてしまった。

あれもこれも難しい、嫌だと言っていたらそりゃあ何も楽しいと思えないだろう。

でもそうなってしまっている。

そんな自分がまた嫌で嫌で、殺してほしい。 

 

このままじゃどんどん悪化していく。

潔く障害者の施設に入所したほうがいいのかもしれない。

 

耐えられない。

 

努力ができない自分をもう見たくない

noteのほうでは明るい話題について書こう思い、頑張って2記事書いた。

しかしどちらの記事も評判が悪い。

いつもの鬱な話の半分かそれ以下くらいしかいいねがつかない。

いつもの記事も大していいねはつかないが。

noteの性質上、やはり評価が気になってくる。

頑張って書いたものならなおさら。

 

明るい話題に対しての語彙力、表現力がないんだなあと改めて感じた。

自分でも自覚はしていたが、数字になると改めて思い知らされる。

別に文章書くのを仕事にしたいわけじゃないから、明るい話題がうまく書けなくたっていい。

だが、それにしたって……。

今までの人生を表しているかのように思えてしまう。

ネガティブな語彙や表現だけ増えて上手くなったのは、人生も後ろ向きだったことを証明しているかのよう。

なんだか自分が可哀想になってくる。

 

だからってどうにかしたいとも思わない。

そりゃあ明るい話題のための語彙や表現が身についたら嬉しいが、躍起になるほどの情熱はない。

それは文章に限らず何に対しても情熱がない、というかなくなった、が正しいか。

自分のことを信じられないから、情熱など持ってもどうせうまくいかないだろうと思っている。

うまくいかないというのは、やってもできないのではなくて、努力が続かないだろうという意味合い。

 

ダイエットも、努力が続かないことで何度も挫折して、そのうちにそんな自分が嫌で痩せようとする行動を取れなくなった。

挫折する未来が目に見えている。

もうこれ以上自分を嫌いたくないからダイエットから逃げるしかない。

 

こうしている今も批判コメントの亡霊の声が聞こえてくる

去年の11月から今まで、約5ヶ月の間寝たきり状態だった。

活動できる日も少しあったが、基本的には横になっていた。

興味関心は失せ、出掛ける意欲も消えた。

何が楽しくて生きているのかわからない日々。

寝たきり期間が長すぎて、もはや何が楽しいのかとかを考えることにも疲れた。

 

こんなに長い寝たきりは初めて。

もうどうしようもない。

色々な要因が絡み合ってこうなってしまったように思う。

何をどうすればまともな生活ができるようになるのだろう。

 

何もできないのが悔しい。

社会のお荷物だから生きてたくないとかそういう面もあるが、それ以上に悔しくて悔しくて。

できていたこと、できるはずだったこと。

全部手から零れ落ちていった。

あまりにも残酷。

 

 

願い

小さな地震があると、もっと大きい揺れがこないかなと思ってしまう。

自分も他人も嫌で、みんな一緒くたに滅びればいいのにと思う。

だから地震がすぐにおさまると少しがっかりしてしまう。

 

色んなことが嫌で、憎んでいる。

東京のこと、性格の悪いおばさんたちのこと、汚い老人のこと、映え狙いの量産型女子のこと。

急にSDGsを謳い出した企業たち、殿様商売の小売店

みんな嫌。

全部嫌だから消えたい。

それか日本が、地球が滅びるか。

人類の歴史は浅くてみっともないのに、偉ぶっていて気持ち悪い。

 

私が極端な思考になるのは頭が狂うところまで狂いきったからか?

 

気持ち悪い奴

ふと思い出した。

元彼氏は出会った初期の頃から「嘘をつく時は本当のことを混ぜて話すといい」と自信ありげに言っていた。

人格がおかしかったのだ。

今ならちゃんと分かるのに。

 

あいつは今でも喜んで子供部屋おじさんをやっているらしい。

ザコンだった。

今でもそうなのだろう。

 

あいつは女子高生が性癖だった。

女子高生の制服が好きだったし、ニーハイソックスも好きだった。

あいつがコンビニバイトで女子高生と働くことになった時はかなり喜んでいた。

女子高生に勉強を教える妄想をしていた。

犯罪者予備軍。

 

どうして私は奴の気持ち悪さに見て見ぬふりをしてしまったのだろう。

もし奴と付き合っていなければ、普通に大学で青春ができたのではないかと思う。

惜しいことをした。

 

顔も気持ち悪い上にフケ症で、性癖が犯罪者。

根本的な人格もおわっている。

 

もしかしたら、奴が告白して玉砕したという相手も女子高生だったのかもしれない。

奴ならありえる。

ああ、怖い。

 

害悪な奴を信じてしまった自分も情けない。

本当に馬鹿だった。

もう隠せない時代

本来弱肉強食の社会だったはずなのに、変に平等を謳うからギスギスした空気になるんじゃないかと最近よく思う。

生きるのに向いてる遺伝子だけを残せばいいのに、向いてない遺伝子まで「平等」に残して。

それで向いてない人が病気や障害で社会の世話になると、向いてる人はモヤモヤするわけでしょう。

対面上はモヤモヤを隠せても、匿名のSNSなんかでは見事にあらわになっている。

 

向いてない人を無理やり残す必要はないんじゃないかと思う。

希望すれば死ねるようになればいいのに。

そうすればお互い、いわゆるwin-winで終わるのに。

 

 

自分がSNS下手だということは昔からわかっていた。

匿名、短文、拡散力。

何年やっても上手くならない、それがSNS

発信することも、情報を受け取ることも、どちらも下手。

もうやらないほうがいいと何度も思うのに、この状態でほかにできることがなくてやってしまう。

 

楽しかったことを投稿すると、なんでこいつは働いてないのに楽しんでるんだ?と思われるだろうな、と思う。

つらい苦しいと投稿すると、それを見た人まで憂鬱な気分になるかもしれない、と思う。

もう何も投稿しないのがいいのに、どうして抜け出せないのだろう。

流れてくる有象無象の情報にはいちいち落ち込んだりイラついたりして、受け取りもド下手くそ。

 

度々、ガラケーに戻したいと考える。

不便なくらいが精神的には良いだろう。

ガラケーだった当時は、それで普通に生活できていたんだから。

 

化け物の付け人

イライラ寄りの鬱状態に陥ると、さっきご飯を食べたはずなのに急にお腹が減る。

正確にはお腹が減るというより胃の上部から喉にかけて焼けるような感覚になる。

それで空腹だと錯覚してしまう。

 

今は、自分に嫌気がさしてイライラしている。

すごくよく喋ってしまった時や悪口を言ってしまった時、自分が一層嫌になる。

喋りすぎる時の自分が気持ち悪い。

喋りすぎる時というのは大体自分の性格の悪さがぼろぼろと出てしまうから嫌なのだと思う。

それなら喋らなきゃいい、控えればいい。

わかってはいるのだが、喋る時は極端に喋りすぎてしまう。

あとで気付いて嫌になる。

 

最近は、一度気分が落ちると自力で浮上できない。

前からそうではあったが、今は頓服を処方されてないため一度落ちたら浮かべない。

日内変動が激しくて、これも嫌になる。

一年中鬱状態で一日の中でも鬱状態がベースではあるものの、たまにお喋りになったりもするし急にため息しかつけなくなったりもする。

本当に急になんの前触れもなく憂鬱になってしまい、その後の回復は難しい。

寝て朝になるとリセットされることが多い。

朝まで待たないといけないからさっさと眠りたくなる。

今日も眠剤を早めに飲んだ。

 

母親の鬱は数ヶ月ごとに良くなったり悪くなったりを繰り返していて、ジェットコースターのようだと自分で言っていた。

私の鬱は数ヶ月ごとのジェットコースターというよりは毎日ジェットコースター状態だと思った。

ジェットコースターのような自分が気持ち悪く、これまた嫌気がさす。

自分の中の化け物に振り回されている感覚だが、周りの人は「私」自体が化け物に見えるだろう。